ある日の話し
この前は酔っていてあまり印象に無かったのだが、よく見ると目鼻立ちのはっきりした女だった。
「入っていい?」と女は尋ねた。
「もちろんさ、構わないよ。」と返し、僕は女を招き入れ、扉の鍵を閉めた。
「ところで、君誰?」と僕は聞いた。
女はぎょっとした顔をした。それから、「本当に解らないの?」と聞いた。
「じゃあなんで家に入れたの?」女は睨みつけながら言葉を吐き捨てた。
僕は何も言えずにいた。女性が家にいきなり来るなんて幸せの他に何がある?しかし、目的の説明は欲しかった。なぜ君のような美人が見ず知らずの家にいるのか。
そのまま伝えようと努力した。「えっと、良くわからないので最初から説明してほしいんだけど。」
女は呆れ顔で説明をはじめた。
「君、今現実に馴染んでいるでしょ。でも、それは間違いなの。本当は、あっちの人間なの。」
「はぁ。それで?」僕は相槌をうち、「とりあえず話を聞こうじゃないか。」と言った。
「まず、あっちの世界は、ルームって呼ばれている場所なの。」
「あっち?ルーム?」僕は相変わらずだったが、女の熱心な眼差しに次第に話しを聞いてみる気にはなっていた。
「とりあえず今、君が見ている世界と同じような世界があっちにはあって、私達はそっちの住人なの。」
「とりあえずは解った。じゃあ君と僕はどうやってこっちに来たんだ?」
「あっちの世界には実体があるようで実際には無いの。いったり来たりは、あるモノを使えばいけるわ。」
「それはだれでも行き来できるの?」
「いえ、それは無理よ。行った時に説明するわ。とりあえず、今すぐコレを使ってルームへ行きましょう。」
女は下げていたバックの中から光線銃のようなモノを出した。
「人体量子化装置よ。これを盗むのに苦労したんだ。」
なんだかおもしろそうだと思ったので、女について行く事にした。
「で、どうしたらいい?」僕は溌剌したように尋ねた。
「まず、意識を飛ばす事ね。ヤクかお酒、なんかある?」
「アシッドのシートなら少し、後スコッチが。」
「よしじゃあ、準備しましょう。とりあえず食って飲んで意識を飛ばして。」
私は言われた通りにアシッドのシートを食べ、ウイスキーをロックで飲み始めた。
女にもすすめたが「私は大丈夫」と言い、僕を急かした。女はカバンから粒状の金平糖のようなモノを出し齧りはじめた。
20分もすると、体が熱くなり視界の景色が歪み始めた。
「ところで君のことなんて呼んだらいいんだい?」
「あぁ。リルでいいわ。じゃあ行くわよ」
「リル、変な名前。」
「ほっといて。それじゃあ、リラックスして、眠りに入る準備をするの。そこから、後は勝手にこっちでするわ。私について来る事だけを念じて。」
「あぁ、解った。じゃ、おやすみ。」リルの言う通りにしたのは、どうも楽しくない世の中に疑問を持ち続けていたからだった。そもそも、この世で信じられる事なんか、何もなかったから。逆に失うものも何も無かったんだ。
僕は、眠りにつこうとベッドに横たわった。景色は歪んでいた。天井の木目がぐるぐると周り始めた。色もだんだん怪しくなってきた。急速に酒を飲んだりアシッドを食べたりしたため、気分が悪くなった。
ベッドの横に置いてある、ゴミ箱に吐いた。僕は完全に不審者となった。その瞬間を見計らっていたのか、リルは僕に向けて銃を構えてから怪光線を発射した。
みるみる、体が丸められた粘土のようにポロポロと落ちていく。僕の体だった丸い物体は床に転がり、蜃気楼のように霞んで消えていった。
体の感覚は至って正常だった。痛くも痒くもなかった。しかし、出来上がっているので、笑いが止まらなかった。
リルは真剣な眼差しで僕の体をなぞるように怪光線を出していた。僕は意識が遠のくのを実感した。
すると、昼か夜かも解らない薄暗い荒野に投げ出された。辺りは瓦礫や木片が散らばっていた。誰かがいる気配は無かった。四方は暗闇に囲まれているようであった。
僕は歩きはじめた。二、三歩あるいたが、体はいつもと変わりが無かった。
酒やアシッドは体から抜けていた。完全に正常な状態だった。強いて言うなら眠かった。
突如、白い物体が眼前に現れたので、眺めているとリルの声が聞こえた。「ついてきて。はぐれたら死ぬからね。」と脅迫めいた事を言ってきた。
歩くごとに暗闇に近づいていくのが解った。本来ならば人間は光に向かって歩むものだけど、ここでは物事が逆転しているような気がした。
寸分先もまったく目視できない真っ暗闇をどれくらい歩き続けただろうか、やがて地面の景色すらも暗くなり、平衡感覚が失われつつあった。
「!?」得体の知れない者の呻き声がした。しばらく立ち止まり、全身の感覚を研ぎすませた。
「リル、どこ?」いつのまにか白い物体と化したリルの姿も見失っていた。僕は平静を装おうと必死であった。
辺りはさらなる黒い静寂に包まれるばかりであった。「グゥゥ…ウゥウ……。」
呻き声が先ほどよりも近くなっていた。その声は凶暴な犬などを連想させた。僕は重心を低くし、身構えた。
すると背後から「なにしてんの?こっちだよ」とリルの声がした。ホッとした。安堵の気持ちでいっぱいになった。
「あのね、しっかりついてこなきゃダメじゃない。」とリルが私を叱責した。
「うん、あぁ。なんか呻き声みたいなのが聴こえてきてさ。少し戦おうとしてた。」と強がってみせた。
「あんた馬鹿だね。ここはまだルームへの裂け目とでも行っておこうか、ここには何も居ない筈なのよ。とりあえずまだ少し歩くよ。見失わないように話しながら行きましょう。なんか質問ある?」
「これから僕はルームへ行ってどうすればいいの?」と歩きながら、声のする方へ質問をした。
「えっと、それにはまずルームの説明からしないとね。ルームって言うのは言わば、あなたの住んでいた現実世界に影響を及ぼす精神世界なの。魂の行き交う場所なの。」
「魂?あ、それでリルはそれっぽい白い物体になってるんだね。」と僕は納得した。しかし、リルは「それは人によって様々よ。人の好みとでも言っておけばいいのかしら。個々の見方で全く違う様相を魅せるの。例えば、現実の世界で美女と野獣なんて言われている夫婦がいるでしょ?あれは、ルームで作用した結果が結びついたって言うのがよくあるケースね。」
「へぇ、まぁ現実世界でしか暮らした事のない僕にとっては、未知の領域って事ね。いいじゃん楽しそう。んで、僕はそこで何をするの?」私は暗闇の中で微笑んだ。
「あなたの肉体と魂を完全に切り離すのよ。簡単な事だから。言われた通りにして。さぁ入り口が見えてきたわよ。」突如目の前に現れた、大きな扉が木の軋む音を立てて開いた。そして足を踏み入れた。
眼前に広がったのは、真っ白い世界だった。目視出来る地平線の何から何までが真っ白であった。リルを見ると、現実世界で見た人間の形に戻っていた。
「ここがルームよ。何も無いと思ったでしょ?期待はずれだった?」「うん。」僕は即答した。
「けどね、ここは空間設計や物体構築まで、望めば何でも出来るの。イメージするのよ。君は過去にそれをもう経験しているハズよ。炭坑で働いたり、レズビアンのいるバーで飲んだりしたでしょ?」
絶句した。なぜ、過去に見た夢の事をリルが知っているのか。僕は察した口調で「ようするに夢の世界と言う訳か」。
「そうよ。けど、あなたは記憶としてしっかりそれが残されているの。なぜだか解る?」
「ルームの僕が本当は現実に生きるべき人間で、今の僕はルームで生きるべき物体って事?」
「いいね」アオイは僕を羨望の眼差しで眺めながら言った。
「けど、それにどんな不都合があるんだい?」僕は物事の核心をつこうと思考を逡巡させた。
「それはこっちのアナタを見れば解るわ。とりあえずイメージの練習よ。まずはじゃあリンゴを望んでみて。」
「なんでリンゴ?」「いいから早く。」僕はリンゴが嫌いだ。なぜなら幼少の頃、フルーツバスケットという遊びをやっていて苦い思いでがあるからだ。そんな事を考えていたら、自然と頭の中でしりとりが始まった。すると、目の前にゴリラが出て来た。私は苦笑いをしながらアオイを見た。「真面目にやっていただけますか?」と叱責された。
しかし、「望む」という行為は簡単に出来た。ゴリラが出せたんだ、リンゴくらい余裕でしょと思い、再度望んだら真っ赤なリンゴが出て来た。良かった。
リルが急かすように「じゃあ次は空間ね。炭坑でミッキーと働いた時の感じでいくわよ。これは私も手伝うから君は、辺り一面を焦げ茶色にする事だけを望んで。」
「わかった、やってみる。」僕は辺り一面を焦げ茶色にする事を望んだ。
真っ白い空間が焦げ茶色に染まり、岩がむくむくと生えて壁になりトンネルが構築された。私は要領を掴んだので、つるはしやスコップを出した。すると先ほど望んだリンゴとゴリラが消えた。
「上出来よ。練習すればもっと自由に出せるようになるわ。」その言葉を聞くと僕は、首筋に強烈な痛みを感じ、気を失った。