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透明のすいみん

(浮遊している感覚、青白い四月の空のイメージ。)

 

 最初は黙りこくりながらスコップで小石をかき集めていた。
…私がこの炭坑で働き始めたのは二日前だ。今日で三日目になるわけだけど。


 毎日、石をスコップでかき集め、出すという作業を八時間やっている。
ミッキーという男も僕と同じ作業をしていて、そいつは私より一時間早く来る。ミッキーには家が無く、炭坑から歩いて二十分の公園に寝泊まりしているらしい。そのせいか、やる事も無いので早く来て、石をかき集めている。作業に終わりは見えてこない。
トンネルをどこまで掘るのかは、ボスが決める事だ。

 僕はこの作業をしている時はなるべく、心を無にするように心がけた。「俺は機械だ。俺は機械だ。」とぶつぶつ自分に言い聞かせていた。
 その内、本当に機械になったような気がしてしまい、いつの間にか動きがロボットのようになってしまっていた。動作をする度に小刻みに震えるのがコツだ。
 一時間早く来ようが、機械になろうが当然、僕たちの給料は一緒だ。週に五日出て四万五千円の給料を得る事が出来る。週払いで、ミッキーはその金をほとんど競馬に使ってしまう。高額当選した金も、競馬や酒、さらには女に消えてゆく。彼の中で人生は生きるか死ぬかの一瞬の出来事の連続なのである。
 彼にとって帰る場所は必要なかったのだ。それが、彼にとっては当たり前であり、アイデンティティなのだ。
 彼は今年四十八歳になると人づてに聞いた。浅黒く日焼けしており、いつもニコニコしていて前歯が二本抜けていた。不細工だった。不意にミッキーが詰問してきた。

 「なぁアンタを観てると、昭和歌謡を思い出すんだ。」
僕は「そうかい?」と言った。
「あぁ、そうさオマエの宇宙から昭和歌謡のエネルギーが溢れ出ているんだ。」
「一曲歌っていいかな?」

「あぁ。いいとも」
「思い出したんだとさ 会いたくなったんだとさ~」と歌い始めた。
 僕は黙々と仕事を続けた。彼は歌い続けた。ボスが

「コラっ!クソ親父!歌ってないで仕事しろ!」と叱責した。
 ミッキーは歌を辞めて「あんた若いのになんでこんなつまんない仕事してんの?」と聞いてきた。

「うるさいよ、他にどうしろってんだ?」
「神は他に道があるぜと言っているよ。」

「なぁ、アンタは神を信じるのかい?」
「いいや」

「じゃあ何を信じるんだい?」
「なにも」

「お互いさまだな。」
 僕は給料を貰い、この仕事をそのまま辞めた。今では、求人広告を片手にパソコンの液晶に向き合っている。

その後、僕は彼の事の一切を思い出す機会はなかった。

しかし、彼だけは、百パーセント自分がそこに居た。他のヤツは十パーかそんくらいだ。自分の事は解らない。他人が勝手に決めてくれれば良い。

 僕はポートワインを三本買って来て机に並べた。残金はほとんど尽きていた。

十分でワインを一本開けると、あるパルスが脳内を走った。

年齢を重ねるごとに、嘘でも頭を下げて「すみません」と言いたくない。

嫌疑の感情がこもったパルスが走った。

 天国から降り注ぐ槍で月を打ち抜いて、落ちてくる結晶で、古びたモダンジャズの真似事をする前に。

常に何かが足りなかった。もっと酔ってしまう必要を感じた。若者は自分が思っているよりも、考え方は退屈だった。後ろを振り返っても、もう誰もいなかった。一人くらいいるとは、思っていたけど。誰も全くいなかったんだ。

 

(やがて幕は下り、白い目覚めへと導かれる。)