宗教、所属するという選択

私に。

 

いや、僕にとっての「所属する」という意識はすごく大事。

それは、それを認めたことになるし(所属すれば)、

ある意味リベラルでいられない不自由さも出てくる。

考えはそりゃ個人の自由でいいとはいいと思うけど、

一つの事や人物を祀ってしまうのはいかがなものかと思う。

例えばよくヤクザの世界にあるような「それが全て」のような世界。

仁義は嫌いではないけど、一神教は嫌いだという話です。

「この人のいう事は大丈夫!」そこに出てくる甘え。

「あぁこんな人を待っていた」という堕落。

僕はいつだって「自分の人生」という言葉を自分に言い聞かせます。

それは自己保身のためではなく、自らの役目を全うしたいが、為。

僕の元に多くの友人が訪ねてきます。その度に問う。「おめぇ、生きてて楽しいか?」、蟠りを持った「膿」たち。まぁ、単純に取り除きたいのです。

しかし、人生において他者の意見を聞くという事も重要なのです。

「Affiliation」

これは僕なりのアンサーワードです。もう一度聞く「おめぇ、生きてて楽しいか?」

 

それを踏まえて学校の話はまた明日にでも。