ある日の話し4 終わり

外に出ると風が突き刺さるような、寒さだった。痛風に悩まされる人間の気持ちがわかった気がした。

その日は工場で8時間の仕事をした。誰もが怠そうに働いていた。しかしここではどうやってもサボれなかった。

レールは1年に数回故障するくらいだったが、それもすぐに管理の人間が直してしまう。

工場の中で人間模様のドラマが起きるとは、到底考えられなかった。

それでも、この日々が劇的に進化出来る事は無いか、考えた。

私は、隣で作業をする男と話してみようと思った。何か、気の利いたジョークでも言えれば、それだけで何かが起こっている気がすると思ったのだ。

隣の男は私と同じくらいの年齢で、腰まで伸び切った長髪を後ろで束ねていた。きっとバンドマンか何かの人間なんだろう。

私は彼が食いつきそうな音楽の話からしようと試みた。

「音楽とか好きですか?」隣の男は、突拍子も無いヤツだなという顔をしながら、こっちを向いた。

「いや、全然。」と男は返した。会話はそれで終わってしまった。

私は、面倒になったのでそのまま作業に没頭した。

その日は前日の不可思議な出来事と工場での労働で疲れていたが、このまま帰ってしまうのがなんだか勿体ない気がしたので、バスへは乗らずに歩いて帰る事にした。

無機質で連続的な機械音の鳴る工場地帯、ここは或る意味での安堵を与えてくれた。仕事を終えた外国人の人々が陽気そうに私の前を通りすぎていった。

彼や彼女は、何を思い、喜び、苦しみ生きているのであろう。昨日の出来事に似た、一種の浮遊感を持ったまま私はひたすら歩き続けた。

少しだけにぎわった商店街へやってくると、強い風が吹いた。少し咳き込んで辺りをみまわすと、バーがあったので、階段を下り入っていった。

中は労働者達でいっぱいだった。たいていの客は焼酎をコップで飲んでいた。私はスコッチの水割りを注文した。かなりの距離を歩いたからか、汗ばんでいた。

飲みながら、フィッシュ&チップスを注文した。黙々と食べ、飲み続けた。頭の中ではジミー・リードのブルースが流れていた。

店内でもめ事が起きているようだったけど、誰も私を邪魔しなかった。

ビールをチェイサーにスコッチを5杯飲んだ。今日の給料の半分を使ってしまった。

バーカウンターの席にもたれながら、

私は間接照明の光と闇の境目を探していた。全く客通りの無いバーで、スコッチを飲んでいる。

酒の酔いは、明日にも必ず何かを齎してくれるようで、希望がわいてくる。

グラスを手に取ろうと、ゆっくりとした手つきで、緩く結んだ手の指先をゆっくりと順に伸ばした。

「アン・ドゥ・トロワ」と心で言ってみた。「私は死ぬまでにこの動作を何度するであろう。」

そんな疑問も織り交ぜ、グラスを左手の薬指と中指に力点を加えた。テーブルには、ジンの水滴が雨の跡のように三日月を象った。

私はわざと「ゴクリ」と音を立てジンを飲んだ。店を出て、家に帰りシャワーを浴びた。ベッドでうとうとしながら映画を見ていると、アオイと自分の関係に何があったであろう。そんな思いが交錯していた。

 

…部屋で私は泣いていた。意味も無く泣いていた。

ひとしきり泣き終えると、窓ガラスから空に飾ってあった雲と太陽が私の部屋へ舞い込んだ。

霧で覆われた見えない部屋の中で私は泣いていた。

手を伸ばすと誰かの髪の毛に触れた。私は異性だと直感で解った。

その人を半ば強引に掴み、抱き寄せると、涙は涸れていた。

女はいつかの恋人にそっくりだった。中学生の頃か、若い頃の思い出と共に。

彼女の事、ずっと振り回したままだった。私が遊び疲れた頃に顔をのぞかせた。

孤独がなかった頃、私は彼女を振り回して楽しんでいた。

彼女は決して泣かなかった。彼女は強く、優しかった。

誰かの本で読んだ事があった。本当の不良とは優しさの事ではないかと言う事に。

真っ白い目覚めが私を連れていってくれた。

釣りにでかけた。島国の沿岸部で育ったので魚の事はよく知っていた。

私は大きな魚を釣り上げた。次々に。隣で、彼女が喜んだ。

私も喜んだ彼女を見て喜んだ。

そして、大きな獲物がかかった。同時に水平線の向こうから暗雲が立ちこめた。

雷が鳴り、嵐が来た。しかし、私はこの大きな獲物をつり上げたいと願った。

私は隣にいる彼女に其れを伝えた。彼女は雨宿りにその場から去った。

とうとう、私は獲物と一対一となった。右に大きく引っ張ると、私は釣り竿を左へ。

釣り糸が悲鳴を挙げる。私は釣り竿を持ち上げては巻き上げ、力の一杯を相手に向けた。

するとどうだろう、獲物が動かなくなった。私はチャンスだと思い、思い切り釣り竿を引っ張った。

海の中には大きな獲物が水面でくたばっている。私はここで疑問が浮かぶ。

「魚影じゃない!!人だ!」その声に反応するように相手が動き回る。しかし、水中であれだけの動きを出来るなんて人魚か河童か半魚人だ。

どっちにしたって勝負は始まっているんだ。勝つか負けるかだ。それから私たちの死闘は1時間以上にも渡った。

 辺りは手元すら見えにくい程、暗くなっていた。

雨や風、雷も相変わらず酷かった。相手はまだ完全に、くたばらない。疲れたふりをしてはいきなり針を外そうと、躍起になる。そこで、私は足下に転がっていた銛を右手に構えた。

左手で一気に獲物を海面まで引き上げると、思いっきり銛を投げつけた。これには獲物もまいったらしく、しばらく海面に浮かんでいた。

そこで、網をつかいヤツを力いっぱい持ち上げた。五十キロはあろう獲物を遂につり上げた。

水で滴るコンクリートに寝そべる獲物を凝視する。顔面にが白くペイントされていて、痩せた頬に涙や菱形がペイントしてある。

「ピエロだ!」私は思わず後ずさりをしてしまった。ピエロはカッと目を見開き私の口元をやたらと大きい手で掴んだ。私はもがいた。しかしもの凄い力で押さえつけられ、気を失った…

 

午前三時に目が覚めた。喉がカラカラだった。台所へ行き、水を飲む。

「にしても、ひどい悪夢だった。」と呟いた。あのおぞましいピエロの表情を思い出すと、悪寒が体中を巡った。

臆病な私は早い所ベッドに行って眠りについてしまおうと思った。しかし、急激に腹が痛くなってきた。今すぐにでもトイレに駆け込まなければならなかった。

しかし、先ほど見た奇怪な夢のピエロがトイレの扉を開けた瞬間にいたと想像すると、とても恐ろしくなった。

しばらく、台所でうずくまり腹の具合が良くなるのを待ってみたが、以前にも増して腹痛は悪化するばかりであった。

もうこれ以上、腹痛を放っておけない状況にまで達してしまったので、トイレへ行く事を決意した。

這いずりながらトイレへ向かい手を伸ばし電気を点けた。そして扉をあけるといつもと変わる事の無い便所があった。

一安心し、便座に腰を落とし肛門を力一杯振り絞った。濁った擬音と共に、尻が暴発した気がした。

天を仰ぎながら「ぐぉぉぉぉぉぉぉ!」と言う声を挙げ私は体の内蔵全てを出す勢いで、排便にすべてをかけた。

出てきた汚物は、便所のありとあらゆる方向へ飛び散った。

やがて腹痛も去り、全ての問題は解決されるかのごとく水に流されていった。

私は洗面台で先ほどの恐怖が消えている事に人間の浅墓さを知った。生理現象に勝る恐怖の事物はあるのであろうか?

飢えている時に人間は、どんな奇怪なものが海で釣れたとして、それを食べられるかどうかと考えてしまうのでは?

きっと自分で考えているよりも人間は動物的なんだと思った。

そうこうしている内にベッドへ戻ると、午前4時前だった。眠れそうになかったので再び台所へ行き、机の上に安物のポートワインを並べた。

飲みながら先日観た海で飛ぶカモメと街で飛ぶカラスの違いについて考えた。誰も私の思考を邪魔するヤツは居なかった。

少し気分がノッて来たので、ジョーターナーのレコードをかけた。家に帰ろうと言った意味の歌を唄っていた。

女、金、若さ、未来、私に無いもの全てだった。いつも小説を読むかのごとく自分の人生を客観視していた。

その結果が工場員。立派なもんじゃないか。幸い住める家と友達がいる。いつしか、私は自分には生きる価値がないという事を知ったふりをしてしまった。

あくまでもふりなので、それが物事の本質を掴んでいるかどうかは定かではなかった。空けたポートワインが半分を過ぎたころ、カーテンの隙間からこぼれる朝焼けが目についた。

私はマンションの屋上へ行き、朝日を肴にワインを飲んだ。太陽をみていると自然と涙がこぼれ落ちた。最近、泣いてばかりだ。

いや、酔ったせいであろう。しかし、頭の中では自分の弱さを吐露するもう1人の自分が、過去の自分を攻めた。

あの時ああすれば…などと。負のスパイラルってやつだ。私は気を取り直して、階段を下り、部屋へ戻った。だれが太陽なんて好きなもんか。カーテンを閉め。夜が来るのを待った。

 

…ある晩の話さ、戸を叩く大きな音がしたので

恐る恐る扉の取手に手をかけ開けると、銃を携えた’星条旗’が立っていたんだ。

その瞬間に全身、痺れて、目眩もした、それはまるで「次はお前だ」と、

名指しで呼ばれたように、佇んでいたわけさ。

後ろめたい事が頭の中で逡巡したよ。十字架にかけられるところで、一旦落ち着くと私は、次の瞬間火の海で笑っていた。それでも惜しいとは思わずに私は抗わずに体を差し出した。この日の為に生きてこれた事に感謝した…

 

 僕だって、そう思う。好き、賛成。じゃあ、結婚する?それは嫌。

 あらゆる束縛からは逃れたい。でも、そんな事言ってられる年齢?

 まぁ、そうだけど。でも、嫌なんだ。屈しない。それだけ。

解った君の言いたい事。少しだけど、足しにして。笑えるね。笑えない。

 所謂、セックス、ドラッグ、ロックンロール?

 この時代には順応しないね。皆、オタク。泣けるね。

全てはそれから。興味ないヤツには興味ない。

風がアナタを遮るかも知れないけれど、

僕は屈しない。何に対しても屈しない。全員を凌駕出来る。そんな無想。

だけど、彼女、廻る寿司屋を探している、下道ならやってると思ったのに。

生活なんてこりごり。愛だけは正常、だけど、自由。

本当に自由。愛は自由でなければいけない。勝手な哲学。だけど、体は正直。

体の上を滑る女。馬鹿な女。女衒も、儲からない。いや、違う。財布が固い。財布をなくす。

体は嘘つき、体じゃない。もっと高尚な部分。愛って何?嘘?いや違う。生活と愛。

僕らはただ、海を眺めていた

 

気がつくと、ポートワインを三本が机に転がっていた。

こんなに飲んだのか。合法と言われている酒だが量を飲み過ぎてしまうと、非合法って事になりかねない。

自分に向かって弁明をしたくなってくる、人生は後退を許さない。スピードが肝心だ。

多くの人間にとってそれがどれだけの重要な位置を占めるのか解らないが、スピードが大事なんだ。

実際、昨晩観た夢は早かった。速度という言葉すら超える意識、僕はそれを探しているのであろうか。でも、目的なんか、とうの昔に失っていた。僕はただ自分が存在するという罪を背負ってこれからも生きていかねばならない。それが解ったのは、まだハイスクールに通っている時だった。僕はあれからどれだけ成長をしただろうか。そんな事考えながら、何も無いという幸せに浸っていた。それに浸りすぎたのは、言うまでもないけど。要するに、僕はぬるま湯を自分で創り、そのスピードに慣れてしまったのである。なんとも馬鹿げた話だ。落とし穴を自分で掘って、はまっているようなものか。どうにかしたくても、体ってものは自分の思い描く速度には到底着いて来れない。路上生活者の速度と所謂、勤めている人間どちらをとっても、結局自分の速度は変わらないのだ。少し話しすぎた。夜まで待つ事にした。

やがて夕闇が辺りを包み始めた。

私はそれまで眠りについていた。退屈が芸術だなんてかったるい事はやめようぜ。

それから少しだけ、スプーン一杯の何かがあれば変われるんだから。夕闇の中、散歩に出かける事にした。玄関脇に炊飯ジャーがあったので持って出かける事にした。こんな見事な炊飯ジャーが家にあっったなんて、すっかり忘れていた。ここ二年間僕は米を口にしていない。パスタやパンばかり食べているのだ。それでも、米を食ってるときと何かが決定的に変わる事は無かった。

 炊飯ジャーを小脇に抱え、近所のリサイクルショプへと行き、自分が好きか自問自答した。嫌いだった。そこから、炊飯ジャーを金に換えようと、店主らしき人に声をかけた。

三千四百円になると言われたので、了承して同意書にサインをした。

 僕は、眠りたかった。少し寒かった。それでも気にせずに歩いていると、だんだん眠気が本物になって来た。歩いていると体は暖まってきた。眠気はそのままだった。あまり行かない方角の商店街だった。もの凄く寂れていた。商店街の中で気休めのように佇むベンチで少し休んだ。コーヒーが飲みたかった。再度、歩き出した。街灯にコウモリがぶつかる音がした。明日は仕事があるので、帰って休むことにした。帰途、サーカスの道化師を連想しながら歩いた。