相反の黒

モダンジャズ(古びた)を聴きながら、国の未来について考えていた。

 

それは労働階級の人間だからこその思考も含まれていた。

今の当たり前がこれからそうではなくなるという不安や、それを簡単に受け入れてしまう昨今の人間性への危惧。

特に恐れていたのは(断続的に)彼、彼女らにとっての全てが受け身だってこと。

 

「その言葉はどこかで聞いたフレーズだ。」

「その振る舞いはあのテレビでの話でしょ?」

オリジナルから、かけ離れたコピーだということに気づかない。

 

今の時代「出し尽くしてしまった」感の飽和状態。

それデジャブのよーな。

 

時代が増えれば、生きた人間が多いのは至極当然のことだけど、

それを言い訳や逃げ道にするのはいい加減やめにしたい。

 

これははっきり言って現代との決別であると信じたい。

現代?とは、今でなく「総括」

 

数字の結果。文字は過程。

 

私は過程と結果の全てに通じたいと願う。

 

台風の過ぎた晴れた日なのでした。