店の話
普通にいまやってる仕事の話をしようと思う。
実は私の実家はコンビニ。私はここで右往左往している。
接客はあまり得意ではないけど演技をすることは得意なので、
絶望感に苛まれながらもひとと話したりしています!
しかし、帰れば「村に火をつけ、白痴になれ」と言ったアナーキー本を読む、
この裏表。われながらこの裏表には
「昼はサラリーマン、夜は強盗。」ばりの美学があるのではと考えるのだが、人として
小さいだろうか。
まぁ、主観の話は抜きにして、そんな生活をしています。
サラリーマンよりも労働者でいたいという気持ちがあるんです。
年はとったけど経験できたからさ。
つーわけで今年のメイデイ。関係ないね!
戦いのエルヴィス?
彼はよく静電気を帯電する体で、鉄製のものに触れるともう静電流。
今日も電気、明日も電気。ってーのは電気式ギターをやっているからか。
バンドを撤退してからしばらく経つけど、もうなんの未練もない。
あれは若者の文化で、もう年齢を重ねてしまった自分にできることはないと
悟ったからだ。
今では一週間にネックを握る瞬間も少なくなっている。
前は夢中になって、仕事中以外はラリってギターを弾いていた。
まだ残りたい気持ちはあったけど、それは居残りに近い状態だったし、
なんだか、惨めな気もした。
それにバンド、ギターはある程度人に合わせないといけないから、
自分の考える表現とは違ってきた。自由に扱えない不自由さ?
そう考えた時に、「人に合わせてもらうか、一人でやるか」ということだった。
はっきり言ってこだわりは強い。音楽にしても生活スタイルにしても、誰かに口出しされるのは、彼の中ではアウトだ(支配欲に対して敏感)。
だからよく衝突をする。
それは彼が勝手にアウトだと思っているだけで、むこうはなんとも思ってない場合もある。要するに性格が悪い、歪んでいる。とほほ。
友達がいないのも頷ける。さらに去る者追わず、来る者拒まず。
これも悪い癖であろう。頼りがなくなってしまった。
彼は完全なる一人になった。彼は人の汚い部分を探すのが上手になった。
そこを抉ることも覚えた。孤独ではなかった。
それを受け入れるだけの覚悟を持っていた。
「身から出た錆。」
勢いよく飛び込んでくる、個人的な憂鬱。個人的な思想。個人的な幸福論。
(仮1)
もうすぐ春がやってくる/素敵だろう
それに生活も少しは/落ち着くだろうし/君も
家でものを書いたり/ちゃんと食事するようになるし
夢をみて/楽しい夜を過ごせるようになる
いま/君は/家にいてゆっくり休み
寂しい気持ちになっては/いけない
(仮2)
遠いどこか/夜の向こう側/あのこは冷たい空の彼方
堪えすぎた/涙に溺れ/あのこは冷たい空の彼方
忘れよう/忘れよう/君を君を
忘れよう/忘れよう/君を君を
疲れ果てた/僕を笑っている/あのこは冷たい空の彼方
あのこは冷たい空の彼方/あのこは冷たい空のかなた
(補足)
そこに真実はないがある種の正義と、真実味(現実感)。
→優柔不断、だらしなさ(親近感)、言葉の選択(明朗さ)、左翼思想(程度は再考)取り巻く環境の情報知識量。
夜中みた線路とか
仕事が終わってから余力がああるうちはなるべく外に出る。
なんとなく、そのまま仕事を家に持ち帰るの(気持ちの問題)が嫌だから。ワンクッション置きたいのである。
今日も終わって、外に出た。
地方都市、夜中の徘徊。
てか、悪いやつがいたら矯正してやろうという名の元のパトロール。
しかしまぁ、水商売関係の人間以外に出歩いているやつなんていない!
かといって真昼間に出歩いても知ってる顔なんていない!
冷めた感じで帰宅。んでぶどう酒片手にバディリッチのレコ。
知らぬまに左肘を切ってる。別に気にならないしデトックス。
夜中の間はしっかり休むことができる
僕が運ぶものはただ一つ、それは電車と言われている
硬直した体の上を電車が走ると、ひどく心地がいい
多い時には一時間に四回も電車が通る
石に振動を伝えることだってある
僕を地面に打ち付けた人間は、どこへいったのだろう
それは昨日かもしれないし、百年前かもしれない
僕は彼と話してから、随分話しかけられていない
僕の思想はいつからか混乱してしまった
人フォーエバー
「お金が、欲しければ働くしかない。」尊敬する作家鈴木いづみさんの言っていた言葉ですが、ぼくも同感です、捌いて生計をたててる人、おれおれ詐欺をしている人、汗水垂らしている人。みんな働いている。頭の使い方は違うかもしれないけど、働いている。真面目に働こうと思った。昨年はお金にならない仕事を続けていた。そこで、不況がものをいう「お金」これに縛られている人間は自分を含めて多くいる。じゃ、なぜそこに縛られてしまうのか、ケースとして自分を挙げてみる。私の場合はまず。週に一度レコードか漫画がなければ「思考が停止」してしまう。自分時間がなければいけない。ここで金がかかる。人間若いうちに金を持つとろくなことがない。というのは先に書いた通り。金のかかる人間が出来上がりってな。
読書・織田作之助を再読。何度読み返しても「世相」の大阪阿倍野橋の博打の件で笑ってしまう。人の不幸もここまでいくと、悲劇でなくて喜劇になっている。
○を交えた所属の経緯。
私にとっての学生生活を振り返ってみよう。これは過去に生きるとかではなく、これからの為にひとつこの場を借りて整理(解放)しようということである。
まず小学校、割と活発で習い事もたくさんしていた。水泳そろばんサッカー柔道、塾。毎日学校が終わってからなんか行ってた気がする。(なにも身についてない!)時にはダブルブッキングなんてザラだった。もしかしたらこの時期が人生で一番忙しかったのかもなぁ。
んで、中学、実家のコンビニで働き始めて小金を手にしていた、おかげで部活も一回やめたりした。この時期から夜更かしを覚えて、オタク化しはじめる。学校もほとんど遅刻、パンク、ニーチェ、ヒトラー、エヴァ。いわゆる厨二病。ここで健全さが失われました。あと友達と呼べる人間は皆無でした。
そして高校、ほとんど記憶ない。けど、バンドとか。あとはバイクが好きになった。毎日早退か遅刻。あとずる休み。
最後、大学、もう流石に普通の勉強はうんざり。周囲みんな東京に行くので、ひねくれて大阪に行くことを決意する(関西NO WAVEみたいな)。でもそん時はこれだ!と思ったんだよね。受験の時にはじめて大学を見た時は山の上にあって「城みたいだなぁ」とか思ってん。写真はすごくいい経験だった。フィルムってところが。
前置きが長かったけど、僕が所属の限界を感じはじめたのはきっと中学だと思う。もう世の中の構造とかそういうのが見え始めてきて。世間の粗探しみたいな。馴れ合いの虚しさを感じとってしまっていたから。
だけど、片親の手前、大学まではどうにかうまくやろうと意識はしてた。けど、もう投げやってもいたかも。だからその分教養、つまり「一人遊びの力をつけよう」とつまらないことを考えていた。他者の重要性なんて考えてもみなかった。どっかで冷めて見下してしまっていた。今思うと損したなってか資本主義に乗り遅れたな。と思う。
で、結果今は自分のかつて望んだ形になりつつある。適度な運動を兼ねた仕事。表面の会話。てことは自分は客観視したらストア派なのかなぁ。多分今は少なからずそれに属して日々乗り越えている気がします。
というフィクションどう?
宗教、所属するという選択
私に。
いや、僕にとっての「所属する」という意識はすごく大事。
それは、それを認めたことになるし(所属すれば)、
ある意味リベラルでいられない不自由さも出てくる。
考えはそりゃ個人の自由でいいとはいいと思うけど、
一つの事や人物を祀ってしまうのはいかがなものかと思う。
例えばよくヤクザの世界にあるような「それが全て」のような世界。
仁義は嫌いではないけど、一神教は嫌いだという話です。
「この人のいう事は大丈夫!」そこに出てくる甘え。
「あぁこんな人を待っていた」という堕落。
僕はいつだって「自分の人生」という言葉を自分に言い聞かせます。
それは自己保身のためではなく、自らの役目を全うしたいが、為。
僕の元に多くの友人が訪ねてきます。その度に問う。「おめぇ、生きてて楽しいか?」、蟠りを持った「膿」たち。まぁ、単純に取り除きたいのです。
しかし、人生において他者の意見を聞くという事も重要なのです。
「Affiliation」
これは僕なりのアンサーワードです。もう一度聞く「おめぇ、生きてて楽しいか?」
それを踏まえて学校の話はまた明日にでも。